皆さんからの質問に回答します


知の追究からしていただいた質問に回答します。ぜひ、皆さんの学習に役立ててください。

グリーンランドは、オーストラリアには、匹敵しないが、十分大きな台地があるのにどうして、グリーンランドは、大陸ではないのでしょうか。大陸の定義とは、何なのでしょうか?

すごく面白い質問ですね。ありがとう!

皆さんは「『大陸』と『島』をどういう理屈でが分けているか」を考えたことはありますか?

まずは先に、ベースとなる事実的知識を整理しましょう。

 

■ 世界最大の「島」はグリーンランド

■ 世界最小の「大陸」はオーストラリア大陸

 

世界で一番大きな島は「グリーンランド」で、その面積は2,166,000 ㎢です。つまり、これより小さい陸地は全て「島」となります。

世界で一番小さい大陸は「オーストラリア大陸」で、その面積は8,468,000 ㎢です。つまり、これより大きい陸地は全て「大陸」となります。

そもそも、島とは「完全に水に囲まれ」かつ「大陸より小さい」土地の塊のことです。その定義に従えば、オーストラリアは島とはなり得ない。なぜなら大陸だからです。何だか、トートロジーにしか聞こえませんね…スッキリしない!!

 

まあでも、いったん以上をまとめると、

・「島」→グリーンランドより小さい陸地


・「大陸」→オーストラリアより大きい大陸

となります。でも、先生的にはまだ納得がいきません!

そもそも、なぜこの2つが「大陸」や「島」の基準になっているのか、ということです。オーストラリアが大陸とみなされる理由を3つの観点から考察してみましょう。

 

【考察1- 地質学的観点から】*資料1

・オーストラリアは一枚のプレートからなっている

・グリーンランドは北米プレートの一部である

 

【考察2- 生物学的観点から】

・オーストラリアの動植物の種はかなりの部分が、世界の他のどの地域にも見られない

・グリーンランドには独自の種というものがほとんど見受けられない

 

【考察3- 人類学的観点から】

・オーストラリアの先住民族「アボリジニ」はオーストラリアにしか住んでいない

・グリーンランドの先住民は、カナダ、米国、ロシアの一部を含む北極圏全体に住んでいる人々のグループ(イヌイット)に属している

 

考察1〜3を考慮した結果、大陸と島については、オーストラリアとグリーンランドのところで線引きをするのが理にかなっていると考えられますね。

 

世界のあらゆる事象には曖昧な部分が多くあります。しかし、それを少しでも明確なものにしていくのが学問の面白いところですね。場合によっては、世界に楔を打ち込む学術的理論の発見に至るかもしれません。これからも「疑問」を大切にしてください。質問ありがとう!

*資料1:Tectonic plates(アメリカ地質調査所;USGS)
*資料1:Tectonic plates(アメリカ地質調査所;USGS)

小学校の頃から気になっていたことなのですが、モンゴル帝国はなぜ日本に襲来したのでしょうか?日本以外にも豊かな国はあるし、日本のような小さい国をわざわざ攻める必要はあったのでしょうか。

・モンゴルはその当時アジア全体を手中に収めようとしていた。

・日本が嫌いだった

などの理由でしょうか。もし先生が知っていることがあれば教えて欲しいです。

*赤い部分が蒙古の領土/緑の国が家来になった国(属国)
*赤い部分が蒙古の領土/緑の国が家来になった国(属国)

質問ありがとう!

良い質問ですね。このように、歴史的事象の「背景」を考えると、歴史の見方もまた変わってきます。ではさっそく!

鎌倉時代の中期、モンゴル帝国の軍勢が、2度にわたり日本に攻め込んできました。この事件が「元寇」であり、別名「蒙古襲来」とも言われています。そもそも「元寇」というの言葉は、侵略を意味する「寇す」(あだす)という単語が由来しています。ということは、当時のモンゴル帝国が、世界中に支配を広げていたことが想像できます。さて実際はどうでしょうか?

当時のモンゴル帝国は、日本を含む東アジア全体を完全に支配しようとしていました。実際、モンゴル帝国は、東ヨーロッパからアジアまで支配する一大帝国となっていました。そして、さらに東アジア地域を完全に支配しようと、まだ手をつけていない日本に国書(手紙)を送ってきました。

しかし、当時の鎌倉幕府は国書を無視し続けました。そしてついに、モンゴル帝国は日本に対して武力行使に踏み切ったのです。

ですから、モンゴル帝国が日本を襲来した理由は「日本を含む東アジア全体を完全に支配しようとしていたから」と言えます。

さて、この「元寇」を日本はどう乗り切ったでしょうか?ぜひ調べてみてください。

画像転載元:http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/genkou/


授業には関係がないのですが、母が戦争についてのボランティアの仕事をしていたこと、最近「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」という小説に出会ったことから戦争についてもっと詳しく知りたいと感じました。この小説では特攻隊が出てきますが、そのような悲しい隊があったことを多くの人は知らないと思います。

もし機会があれば詳しく教えていただきたいです。

ありがとうございます。

『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』という作品、さっそく先生も読んでみました。すごくいい作品ですね。教えてくれてありがとう。「戦争」というと、なかなか手に取りにくいこともありますが、手に取りやすい形で戦争を伝えているこの本は、日本がかつて経験した「戦争」を知り、そして考えるためには大変価値のある作品だと思います。

さて、質問にある「特攻隊」は皆さんはご存知ですか?

「特攻隊」とは「特別攻撃隊」の略称です。特攻とは、重さ約250kgの爆弾を搭載した飛行機にパイロットが乗ったまま、敵の船に体当たりして沈没させようという攻撃のことです。パイロットは必ず戦死することになりました。

陸軍の沖縄特攻作戦は、第二次世界大戦末期の1945年3月26日から7月19日まで行われました。この作戦で亡くなった特攻隊員は17歳から32歳、平均年齢は21.6歳でした。現在の高校生や大学生と同じ盛大の人々が特攻で命を失ったのです。当時の日本では「軍人は国のために命をかけて尽くすことはあたりまえ」と教えられていました。戦争が長引き、戦況が悪化する中で、経験が豊富なパイロットや飛行機を多く失ったこと、新たなパイロットの養成や飛行機の生産が追いつかなかったことなどの理由も重なり、少ない飛行機とパイロットで大きな船を沈める可能性のあった特攻作戦が行われたのです。

「特攻隊」について描かれた作品は多くありますが、中でも百田尚樹氏の『永遠の0』は、初版から累計発行部数300万部を超える大ベストセラーとなった作品です。2013年に映画化もされています。同作では、鹿屋海軍航空隊基地や鹿屋航空基地史料館なども舞台として登場します。「特攻隊」といえば、鹿児島県の知覧が有名で、 鹿屋はあまり知られていません。 しかし、鹿屋は知覧の倍以上の特攻隊員が亡くなった基地でもあるのです。ぜひ、手にとって読んでみてください。ちなみに映画は、歴代の邦画実写映画で6位にランクインするほどの大ヒットを記録しています。映画『永遠の0』の予告編も転載しておきますね。

転載元:YouTube(https://youtu.be/odC9hFpBtZc)


「社会」って小学の頃は普通に「社会」でひとまとまりだったけれど、中学から「地理」「歴史」「公民」の3つに分かれるのはなんでですか?

素晴らしい質問をありがとう。

結論から述べると、分野別にした方が「学びやすい」からです。小学校の社会科は、生活に密着しており、具体的な社会的事象を取り扱っているため、子どもにとって身近に感じる内容が多く、生活経験の中から学習を進めることができます。

それに対して、中学校の社会科は、生徒の生活から離れた社会的事象を取り扱う内容が増えるため、抽象度が増すうえに、必要とされ る知識量も大幅に増えます。

そのため、小学校と同様に「社会科」という大きな枠組みのままでは、それらの抽象的概念の知識の整理がつかず、学習しにくくなってしまいます。

したがって、地理・歴史・公民の3分野に分けて、それぞれの分野に「関連性」をもたせながら学習する形をとったのです。

ここでポイントになるのがこの「関連性」です。人間の社会生活の営みとの関連を考えてみると、例えば地理は、地球規模での気候や海流、地下資源などの地学的勉強は多少しますが、その中心的内容は「人と人が決めた国土においてどのような生活が営まれているか」、「国同士でどのような経済活動を営んでいるか」というものであり、そこには常に「人間」が中心にあります。また公民というのは、経済それ自体、政治力学も学ぶ学問ではありますが、経済とは端的に言えば人間の欲望であり、政治とは人間の利害関係の調整法に他ならないのです。やはり、ここにも「人間」が中心にあります。そして最後に歴史です。我々が歴史を学ぶというとき、それは要するに人間の典型を学ぶということを本来意味します。「源義経は軍事的天才だった。でも政治的手腕は優れていなかった。だから兄の頼朝に討たれた」といったことを学び続けることで、学んだものは何を生き方の指針に据えたらいいのかを選び、生きることができます。やはり、ここにも「人間」が中心にあります。また、高校生になれば倫理といった科目も加わりますが、これも中学歴史の延長と捉えてよく「人間とは何か」を考える学問です。

ここまで見てきたとおり、社会とは「人間」を学ぶための学問です。すなわち、人の集まりである社会で生きていくことための「知恵」です。一人では生きることが不可能な「人間」が集まって生きるために、必要な「知恵(生きる術)」を獲得するために、社会科という科目はあります。これからも楽しみながら学んでくださいね!


イギリスでは慣例や伝統で物事を決めているということを聞いたことがあったのですが、はっきりとした憲法は存在するのですか?

こういう質問はどんどんしてください。教科書に載っていない学びにこそ「面白さ」があります。

単一の憲法典としては成典化されていないため、不文憲法または不成典憲法(uncodified constitution)であると言われます。つまり、英国では「慣習」を法として機能させているのです。慣習とは「普段いつもこうやってるから、特にルールブックには書いてないけど当然いつも通りやるよね」というものです。

現代のイギリスも同様です。日本のように国で唯一の憲法はありません。ですから、英国の憲法に相当するものは、断片的な慣習や裁判事例をまとめたいくつもの法律文と、慣習によって成り立っている文書化されていない法律が憲法として機能しています。

英国はこういった慣習法やいくつもの積み重なった法律が何個もあり、憲法として機能しているといえます。


二毛作と二期作の違いについて教えてください。

(画像引用) https://yuzupa.com
(画像引用) https://yuzupa.com

①「二期作」 同じモノを何回も…

二期作は、1種類の作物を1年の間に1回栽培することをいいます。

例えば、二期作で栽培される作物は「米」を指すのが普通ですが、トウモロコシやジャガイモなどにも用いられることもあります。

②「二毛作」 違うモノを何回も…

二毛作は、同じ耕地で1年の間に1種類の異なる作物を栽培し、収穫することをいいます。

例えば、春にジャガイモを植えて夏に収穫した畑に、秋になったらほうれん草の種をまくなど、連作障害に注意して作物同士の相性も考えて作付けします。